ネパール極西部Acham郡の村落部の生まれ。キョウダイは兄一人、妹一人の二人のみ(これはネパールではとても少ないほうです)。とても活発だった彼女は、兄が脚に障害を持っていたこともあって、小さな頃から「男の子のように」育てられてきたといいます。両親からも近所の人たちからも、「カンチャ(=ネパール語で「末の男の子」の意)」と呼ばれてきたそうです。
12年生まで学校に通った(日本でいう高等学校修了に相当)後、彼女は自ら志願してネパール国軍に入隊、カトマンズ盆地内の駐屯地に配属されて、不当解雇にあうまでそこで任務に就いていました。家族(両親と兄夫婦の4人)は現在までずっと故郷の村に暮らしており、彼女は唯一の現金収入の稼ぎ手として、村の家族を支える立場にあったといいます。不当な解雇撤回を勝ちとり、できるだけ早く職場復帰することを彼女がめざす背景には、軍隊での任務に彼女自身適性があると感じていることとともに、それが家族を支えていくことを可能にする、安定(安全ではないとしても!)した職業だという事実もあるといえます。特別な高学歴も技能もない「ふつうの」人々、とりわけ女性にとって、安定した雇用を得ることの極めて困難であるネパールの現状において、軍隊は一つの「得難い」働き口ともなっているわけです。

解雇された現在、バクティさんは余儀なくカトマンズの親戚の許に身を寄せており、村に仕送りをするはおろか、自立した暮らしをたてることすらできない状況におかれています。滞在期間が長びくにつれ親戚の許に暮らし続けるのはますます難しくもなってきており、いつまでいられるかは不透明だといいます。