<可視化しつつあるセクシュアル・マイノリティ>
 ネパールのセクシュアル・マイノリティについて、現在のところ得られる情報は極めて限られたものです。そもそもネパールにそうした人々の存在するという情報すら、公に出てくることは、ここ5,6年ほど前までほとんどありませんでした。
 2001年にカトマンズでネパール初のセクシュアル・マイノリティのための団体、ブルー・ダイアモンド・ソサエティ(Blue Diamond Society 、略称BDS)が設立されたことは、こうした状況を変える大きな転機となったといえます。設立者で会長のSunil B. Pant氏の強力なリーダーシップのもと、様々な活動を展開し、またメディアにも積極的に露出して、これまでほとんど認められてこなかった多様なジェンダーセクシュアリティを生きるネパールの人々の存在を明るみにだすことに成功しました。人権侵害(直接的暴力行為を含む)を被ったセクシュアル・マイノリティ個人への救済活動から、HIV/AIDSの啓発・予防・治療、コミュニティ・センターの運営、政府の政策・施策に向けたロビー活動、ネパールの伝統的なお祭り(Gai Jatra、Teej, Tihar等)にあわせたプライド・パレードやパーティといったイベントの開催まで、多岐にわたる活発なその活動はネパールのセクシュアル・マイノリティの生きる社会的風景を、確かに変えてきました。ここ数年、こうしたセクシュアル・マイノリティのための活動は、カトマンズ盆地内外に新たに設立されたBDS自体とも緊密に連携している他の幾つかの団体によっても、担われるようになってきています。


<明らかな「(生物学的)男性」、「トランス」中心性>
 こうして可視化しつつある、BDSを中心とするネパールのセクシュアル・マイノリティ・コミュニティには、一つの顕著な特徴が見てとれます。BDSは、欧米的(=実質的にグローバル化している)セクシュアル・マイノリティ・カテゴリーである「LGBTレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)」という表現も自らのターゲット・コミュニティを指示する言葉として援用しつつ、あらゆるセクシュアル・マイノリティのための活動を展開することを謡っています。しかし、そこに実際に集う人々や指導的立場にある人々の構成を観察するなら、その内実は実質的に「(生物学的)男性中心」、またとりわけいわゆる「MtF」(=男性から女性)の「トランスジェンダー」中心的であるのは明らかです。FtMトランス的な人々のことを、ネパール語meti(あるいはmeta, kothiなどとも)と呼びます。つまり、ネパールのセクシュアル・マイノリティ・コミュニティは、事実上meti達のコミュニティという色合いが極めて濃いのが現状といってよいでしょう(Tamang 2003も参照)。

 そうしたなかで、「(生物学的)女性」あるいは「レズビアン」達の占める位置は極めて周縁的なものとなっています。そもそもこのコミュニティにコンタクトをとってくる女性の数自体が、(生物学的)男性に比べれば圧倒的少数にとどまっています。コミュニティに合流した女性達の声も、全体としては(生物学的)男性あるいはmeti中心の運動のなかに、なお埋没しているように見えます。数年前に「レズビアン」のための団体(Mitini Nepal)が設立されていますが、実質上独立した活動を展開しているというにはまだ遠い段階にあります。今回のバクティさんの裁判支援をBDSが主体となって行っているのには、このようなレズビアン・コミュニティの層の薄さ、運動の脆弱さも背景にあるわけです。


<なぜ、女性は周縁化される?>
 女性達がこのコミュニティのなかで周縁的立場に追いやられてしまう背景として、第一に指摘できるのは、その数の少なさ自体です。彼女達はマイノリティのなかの、さらに圧倒的な少数者という位置におかれています。このことは、ネパール社会において女性一般がおかれている位置と関係づけて考えることができるでしょう。すなわち、女性に許される「自由」の範囲が男性より一般に圧倒的に狭いことが、彼女達がコミュニティにコンタクトする機会自体を、そもそも大幅に制限しています。またとりわけ性的な領域において、女性が自ら行動しその性的可能性を追求するような環境が一般に欠如しているなかで、女性が自身の性的指向に自覚的になるチャンス自体、極めて希少ともいえます。さらに自覚したところで、それを実践に移すことは現在のネパール社会の状況においては非常に困難であるわけです。現在コミュニティに参加している女性達のなかには、「レズビアン」であることで家族との絆を断たれ、生まれ育った村にいられなくなったという例も少なくありません。

第二に、これもやはりネパール社会における女性のおかれた位置に大いに関連することですが、コミュニティに集った女性達が、運動を効果的に遂行するために必要な技術や知識や経験を十分に身につけていない場合がしばしばあることも、指摘できます。性的指向に自覚的になり、コミュニティと連絡をとり、そこに参加することができたとしても、彼女達の多くは(他のネパール女性の多くがそうであるように)、教育等の社会的能力を発展させる機会から疎外されてきています。社会的活動・運動は、現状を変えようと声をあげる熱意や勇気を必要とするとともに、企画書や報告書を書き、会議を運営し、関係各所と折衝し、種々の事務処理をこなすといった作業をも必要とします。こうした側面において、彼女達がコミュニティの男性達に多くを依存しなくてはならない状態にある現状は、彼女達を有無をいわせず、周縁的な位置に押さえ込むことに繋がっているように思われます。


*参考*
 Seira Tamang 2003 “Patriarchy and the Production of Homo-erotic Behaviour in Nepal”. in Studies in Nepali History and Society vol. 8(2), pp.225-258.