ネパールの国内法には、同性間性行為を直接禁じた、いかなる条項も存在していません。
関連する可能性のある条項として、「国法」(Muluki Ain)の第4部16章第1項の「4つ脚の牝動物と性交するあるいは4つ脚の動物に性交させる、またはその他何らかの不自然な性交をしたり、させたりしてはならない」(傍点、引用者)というものがあります。また同4項には、「本条の他の条項に言及された以外の何らかの種類の不自然な性交をする、させる者には、1年以内の禁固または5,000ルピー以下の罰金に処す」と定められています(なおこの条の題目は、「4つ脚動物との性交について」です)。この条項は、警察が男性と性交を持った/持とうとしたと見られる男性(=基本的には、女装したmeti達)を威嚇し逮捕する根拠として使われてきたふしがありますが、ここにいう「不自然な性交」が何を指すかについて、今だ明白な法的解釈が下されたことはありません。

 他方で、ネパールは国際人権規約社会権規約及び自由権規約)に加入しています(1991年5月)。このうち自由権規約には、法の下で万民が平等であること、及びいかなる事由による差別も禁止されることが盛り込まれています。また国連人権委員会は、性的指向が禁止される差別の事由に含まれることを認めています。このことに照らして、成人同性間の同意に基づく性的行為がネパールの法体系のもとで「違法」とされるとすれば、そこに矛盾が生じることは明らかであり、曖昧な国内法を整備し直すことが急務だといえるのではないでしょうか。

<可視化しつつあるセクシュアル・マイノリティ>
 ネパールのセクシュアル・マイノリティについて、現在のところ得られる情報は極めて限られたものです。そもそもネパールにそうした人々の存在するという情報すら、公に出てくることは、ここ5,6年ほど前までほとんどありませんでした。
 2001年にカトマンズでネパール初のセクシュアル・マイノリティのための団体、ブルー・ダイアモンド・ソサエティ(Blue Diamond Society 、略称BDS)が設立されたことは、こうした状況を変える大きな転機となったといえます。設立者で会長のSunil B. Pant氏の強力なリーダーシップのもと、様々な活動を展開し、またメディアにも積極的に露出して、これまでほとんど認められてこなかった多様なジェンダーセクシュアリティを生きるネパールの人々の存在を明るみにだすことに成功しました。人権侵害(直接的暴力行為を含む)を被ったセクシュアル・マイノリティ個人への救済活動から、HIV/AIDSの啓発・予防・治療、コミュニティ・センターの運営、政府の政策・施策に向けたロビー活動、ネパールの伝統的なお祭り(Gai Jatra、Teej, Tihar等)にあわせたプライド・パレードやパーティといったイベントの開催まで、多岐にわたる活発なその活動はネパールのセクシュアル・マイノリティの生きる社会的風景を、確かに変えてきました。ここ数年、こうしたセクシュアル・マイノリティのための活動は、カトマンズ盆地内外に新たに設立されたBDS自体とも緊密に連携している他の幾つかの団体によっても、担われるようになってきています。


<明らかな「(生物学的)男性」、「トランス」中心性>
 こうして可視化しつつある、BDSを中心とするネパールのセクシュアル・マイノリティ・コミュニティには、一つの顕著な特徴が見てとれます。BDSは、欧米的(=実質的にグローバル化している)セクシュアル・マイノリティ・カテゴリーである「LGBTレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)」という表現も自らのターゲット・コミュニティを指示する言葉として援用しつつ、あらゆるセクシュアル・マイノリティのための活動を展開することを謡っています。しかし、そこに実際に集う人々や指導的立場にある人々の構成を観察するなら、その内実は実質的に「(生物学的)男性中心」、またとりわけいわゆる「MtF」(=男性から女性)の「トランスジェンダー」中心的であるのは明らかです。FtMトランス的な人々のことを、ネパール語meti(あるいはmeta, kothiなどとも)と呼びます。つまり、ネパールのセクシュアル・マイノリティ・コミュニティは、事実上meti達のコミュニティという色合いが極めて濃いのが現状といってよいでしょう(Tamang 2003も参照)。

 そうしたなかで、「(生物学的)女性」あるいは「レズビアン」達の占める位置は極めて周縁的なものとなっています。そもそもこのコミュニティにコンタクトをとってくる女性の数自体が、(生物学的)男性に比べれば圧倒的少数にとどまっています。コミュニティに合流した女性達の声も、全体としては(生物学的)男性あるいはmeti中心の運動のなかに、なお埋没しているように見えます。数年前に「レズビアン」のための団体(Mitini Nepal)が設立されていますが、実質上独立した活動を展開しているというにはまだ遠い段階にあります。今回のバクティさんの裁判支援をBDSが主体となって行っているのには、このようなレズビアン・コミュニティの層の薄さ、運動の脆弱さも背景にあるわけです。


<なぜ、女性は周縁化される?>
 女性達がこのコミュニティのなかで周縁的立場に追いやられてしまう背景として、第一に指摘できるのは、その数の少なさ自体です。彼女達はマイノリティのなかの、さらに圧倒的な少数者という位置におかれています。このことは、ネパール社会において女性一般がおかれている位置と関係づけて考えることができるでしょう。すなわち、女性に許される「自由」の範囲が男性より一般に圧倒的に狭いことが、彼女達がコミュニティにコンタクトする機会自体を、そもそも大幅に制限しています。またとりわけ性的な領域において、女性が自ら行動しその性的可能性を追求するような環境が一般に欠如しているなかで、女性が自身の性的指向に自覚的になるチャンス自体、極めて希少ともいえます。さらに自覚したところで、それを実践に移すことは現在のネパール社会の状況においては非常に困難であるわけです。現在コミュニティに参加している女性達のなかには、「レズビアン」であることで家族との絆を断たれ、生まれ育った村にいられなくなったという例も少なくありません。

第二に、これもやはりネパール社会における女性のおかれた位置に大いに関連することですが、コミュニティに集った女性達が、運動を効果的に遂行するために必要な技術や知識や経験を十分に身につけていない場合がしばしばあることも、指摘できます。性的指向に自覚的になり、コミュニティと連絡をとり、そこに参加することができたとしても、彼女達の多くは(他のネパール女性の多くがそうであるように)、教育等の社会的能力を発展させる機会から疎外されてきています。社会的活動・運動は、現状を変えようと声をあげる熱意や勇気を必要とするとともに、企画書や報告書を書き、会議を運営し、関係各所と折衝し、種々の事務処理をこなすといった作業をも必要とします。こうした側面において、彼女達がコミュニティの男性達に多くを依存しなくてはならない状態にある現状は、彼女達を有無をいわせず、周縁的な位置に押さえ込むことに繋がっているように思われます。


*参考*
 Seira Tamang 2003 “Patriarchy and the Production of Homo-erotic Behaviour in Nepal”. in Studies in Nepali History and Society vol. 8(2), pp.225-258.

(1)

2007年9月16日に、第一回のヒアリングが予定されていましたが行われず、実質的に繰り延べとなりました。10月10日付けのバクティさんからのメールによると、次回の審議予定が、このほど11月15日に設定されたとのことです。
現在はまだ実質的審議にすら入ることができていない状況にあり、先行きは長いことと思われます。情報が入り次第、順次アップしていきます。

(1)

2007年9/17付新聞The Kathmandu Post(カトマンズ発行の日刊紙)より
−第一回ヒアリングの日に、彼女が(裁判所のある)軍の敷地内に入ることすら許されなかったことが報道されています。

ネパール極西部Acham郡の村落部の生まれ。キョウダイは兄一人、妹一人の二人のみ(これはネパールではとても少ないほうです)。とても活発だった彼女は、兄が脚に障害を持っていたこともあって、小さな頃から「男の子のように」育てられてきたといいます。両親からも近所の人たちからも、「カンチャ(=ネパール語で「末の男の子」の意)」と呼ばれてきたそうです。
12年生まで学校に通った(日本でいう高等学校修了に相当)後、彼女は自ら志願してネパール国軍に入隊、カトマンズ盆地内の駐屯地に配属されて、不当解雇にあうまでそこで任務に就いていました。家族(両親と兄夫婦の4人)は現在までずっと故郷の村に暮らしており、彼女は唯一の現金収入の稼ぎ手として、村の家族を支える立場にあったといいます。不当な解雇撤回を勝ちとり、できるだけ早く職場復帰することを彼女がめざす背景には、軍隊での任務に彼女自身適性があると感じていることとともに、それが家族を支えていくことを可能にする、安定(安全ではないとしても!)した職業だという事実もあるといえます。特別な高学歴も技能もない「ふつうの」人々、とりわけ女性にとって、安定した雇用を得ることの極めて困難であるネパールの現状において、軍隊は一つの「得難い」働き口ともなっているわけです。

解雇された現在、バクティさんは余儀なくカトマンズの親戚の許に身を寄せており、村に仕送りをするはおろか、自立した暮らしをたてることすらできない状況におかれています。滞在期間が長びくにつれ親戚の許に暮らし続けるのはますます難しくもなってきており、いつまでいられるかは不透明だといいます。

はじめに

oensurukai2007-10-14

今ネパールで、「レズビアン」であることで受けた不当な差別に対して声をあげ、闘っている女性がいます。バクティ・シャハさん、22歳。

彼女はこの5月、同じ駐屯地に配属されていた同僚で恋人のパルヴァティさん(仮名)とともに突然駐屯地内で拘束され、60日間勾留された後、一方的に解雇を言い渡されました(パルヴァティさんも45日の勾留の後、同様に解雇)。彼女はこの不当な措置に抗議し、解雇の取り消しを求めて訴えを起こしました。先日(9月16日)第一回のヒアリングが予定されていましたが、実質的審議は行われず(メディア報道の項の9/17付け新聞記事 参照)、審議の開始は1ヶ月以上引き延ばされる模様となっています。

ここ10年ほどの間に、ネパールではセクシュアル・マイノリティに対する社会的認知が徐々に醸成される兆しが見える一方、彼ら・彼女らに対する差別や暴力事件も絶えません。とりわけ女性同士が社会に受け入れられ自立して暮らすことは現在もなお極めて難しく、公権力による今回のような事件が許され社会一般の先例として定着するようなことになれば、彼女達の生きる選択肢はほとんど閉ざされてしまうといっても過言ではありません。その意味で、今回の不当解雇撤回を勝ちとることは、バクティさん個人のためだけに限らない、非常に重大な社会的意義を持つものです。

裁判はネパールのセクシュアル・マイノリティ団体Blue Diamond Societyが支援していますが、おそらく長期にわたるであろう係争中の重い経済的・精神的負担に耐えて裁判を闘いぬくためには、さらに広汎で強力な支援が不可欠です。バクティさんの勇気ある闘いを注視し、共に支えていきませんか。彼女への連帯の思いをカンパに託して、ぜひお寄せください!


カンパの方法

下記「バクティさんを応援する会」の口座に郵便振替にてお願い致します(一口=1,000円)。通信欄にメールアドレスを明記くだされば、その後の裁判の進行状況やバクティさんからのメッセージなどをお届けさせていただきます(ほぼ同様の内容はこのブログにもアップしていきます)。

なお、会員が募金箱を持って直接カンパを受けつける活動も随時行っております。会の活動 の項をご参照ください。
メールによるバクティさんへのメッセージも受け付けています。ぜひお送りください!
(英語または日本語でどうぞ。日本語のメッセージは事務局にてネパール語に翻訳してバクティさんに届けます。)
また、メッセージの公開をお許しいただける場合は、当ブログ上で紹介させていただきたいと存じます。その場合は、公開可と明記の上、公開可能なお名前もお書き添えください。

  バクティさんを応援する会  
  E-mail: bakutisanwooensurukai@yahoo.co.jp
  郵便振替口座: 10130-47629931 バクティサンヲオウエンスルカイ

バクティさんを応援する会・呼びかけ人一覧
(50音順、敬称略) **事務局
飯野由里子(大学教員)、河口和也(大学教員)、風間孝(大学教員)、黄綿史(大学院生)、齋藤路恵(会社員)、佐藤斉華(大学教員)**、清水晶子(大学教員)、守如子(大学教員)

***この会の趣旨に賛同し、呼びかけ人になってくださる方も募集しています! なってくださる方は、メールにてその由、ご連絡ください。***